関節リウマチを世間にわかってほしいと思いつつも

「関節リウマチは関節炎がメインではない」と言いたいけれどしつこくしたくもない

先日、健康上で何かあるかと尋ねられたので、関節リウマチを持っていますと答えたところ、

「あら、わかるわ。私も五十肩なのよ、つらいわよね」と言われてしまい、複雑な気持ちになりました。

このように関節リウマチは、「ただの関節炎」というような反応をされることが多いです。

腱鞘炎、四十肩(五十肩)あたりはよく一緒にされます。

こういったことがあると、

「関節リウマチは、関節部分の骨が溶けて神経にさわって激痛が出たり、最終的には意図しない形に固まって関節が動かなくなる恐れがある病気なんです。わかってほしい。」

なんて思ったりするけれど、私はとっさにその場で修正するような言葉を出すことができませんでした。

もしかしたら「五十肩はよく知りませんけど、関節リウマチくらい痛いんですか?」とか、ちょっぴり皮肉の聞いた言葉くらいは言えたかもしれません。

でも、言うのは簡単だったろうけど、その後は大抵好転しないものです。

相手は難しい話とか混み入った話がしたいわけではないし、場合によっては、「面倒くさい相手だ」と認定されて今後敬遠される恐れもあります。

仕事相手でこの流れになった時は言葉を濁してそのままスルーが賢明と思いつつ、やはりモヤモヤは残りますね。

「助けてほしい」と発信していた過去

私は家族に関節リウマチだと伝えた時、ものすごい反発にあいました。

私としては今後苦労するであろう部分で力になって欲しいとか、支えて欲しいとかそんな願いがあったんですけれど、家族は自分の労力を私に使うことを拒み、排除する方向に動きました。

あげく乳飲み子と持病を抱えて片親になりましたが、その後の環境でも拒否されることが多く苦労しました。

何が悪かったんだろうと今もたまに思い返すことがありますが、

簡単に言うなら「ギバー」になっていたからではないかと推察します。

「関節リウマチで日常に支障が出るから助けてほしい」
「子供がいてすることが多いから手伝ってほしい」

相手からしたら「その見返りは何?」だったのではないでしょうか。

私は出戻りの自覚がありましたからたまにお願いするくらいだったのですが、過剰に受け取られていたのかもしれませんし、話合いできる状態でなかったので真実はわかりません。

「わかってほしい」の根幹

関節リウマチはただの関節炎ではないとわかってほしい。

これは本当にそう思います。

ですが、わかってもらったら次は何を要求してくるんだろう?と心配されるかもしれません。

荷物を持って欲しい?家事を代わってほしい?動作が緩慢でも怒るな?
それは私の負担が増えるだけじゃないの、理解したくない。

なんて思われてしまうかもしれません。

基本的には自分のことは自分でしたいと、自分の仕事と割り当てられているものくらいはこなしたいと思っている人が大半です。

なので、一番周囲の人にお願いしたいことは、「信じて欲しい」です。

決して楽をしようとか、周囲を陥れようとしているとかではないんです。

元気な時は元気なんです。駄目な時は本当に駄目なんです。

そのペースは本人にもわからなくて、午前中駄目だったけど午後には痛みが回復してるなんてことも極端にあります。

本人の申告の義務は発生しますし、コミュニケーションは必須です。

どうか頭ごなしに「怠けている」と思わず、余裕がある時、少しだけ意識を傾けていただけたらと願っています。

ちなみに、状況をろくに説明せずに全部が全部に全力で寄っかかってくるような人は言語道断です。余裕があれば諭していただくのもありかと思いますが基本はあまり深入りはしないほうが賢明です(病気になって気持ちが深淵に居る人もいるので粘着されたり巻き込まれないようにお気を付けください)。

私のPC作業時のお供です。厚手もあって温かいですが普通の方が動かし易いかな…


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